AK note

ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

バーチャルリアリティーの可能性

日々進化するデジタルの世界。ゲームはもちろんその他の様々な分野で今もっとも注目されているのがVRですね。

その場に居ながら別の現実を体感する感覚は、不思議な違和感と未知への好奇心をもたらすものであり、素早く、手間なく、日常から異空間へと誘ってくれるすばらしい技術です。

しかしこれはあくまで仮想現実を実感出来る感覚を持っている人の話です。
たとえば崖っぷちに立たされている瞬間、その高さに恐怖を覚えるのは日常の経験がそうさせているのであって、VRが人の脳をコントロールしているわけではありません。

あたりまえのような話ですが、現在この不思議な違和感を楽しんでいる人には関係のない話でも、VR技術が生まれた時からそばにあってそれが「日常」になっているこれからの人にとってはあたりまえとは言い難いように思います。

私は常々、ゲーム感覚とVR感覚は住み分ける必要があると考えているのですが、その理由の一つに本質的な面白さの違いがあると思っているからです。

これはVR技術と同様に過激な非人道的な演出のゲームにも言えると思うのですが、とにかく心が動かされるもの、ドキドキすること、ハっとする瞬間、…… このキーワードを発生させることが優先されていて、その度合いが大きければ大きいほど成功(結果)とすることが、なにか大事なものを置き去りにしているように思えてなりません。

子供のためのもの作りにおいて、それに合った演出は一見大人が見ると幼稚に思います。実際、そのような商品の開発中に別の関係者がそれを見て「こういうのが好きなんですか?」なんて低俗なもののような言い方をされた経験もあります。

ゲームにはゲーム特有の体感があります。ものを考え、結果を導き出し、実行する喜びはデジタルゲームにしか出来ない実体験です。そこにはバーチャルではない本物の感覚があり、心の中にいつまでも残り続けてユーザーに影響を与えます。

だからこそビックリさせて、それで終わりにはしたくないんですね。…… そういう観点からすると、そんな思考型ゲームを作る技術はこれからどうなるのかちょっと心配になります。是非そんなおもしろいゲームがこれからも作られていくよう願います。

 

……


他人(ひと)が悩んでいるとき。苦難を乗り切る方法が見つからないとき。どんな言葉をかけてあげられるでしょうか。

私は自分の経験からその人に寄り添い、自分も別の苦難を背負っていた経験を話すかもしれません。その人の気持ちは理解出来なくても、どれほどの苦しみをかかえているのかをバーチャルに体感し、同調しようとするかもしれません。それは私も辛い思いをした経験があるから出来ることなのかもしれません。

子供のころからの経験は、見えないチカラとなって人間力を高め社会に順応するための技術として活かされていきます。優れたゲームと言われるものもそういうものの一つに相当するに違いありません。
まあ、そういう意味では人間関係を構築するバーチャル技術はすでに「人」には備わっていて、それがさっき話した「大事なもの」なのかもしれません。