AK note

ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

ヒット商品のアイデアは一個人の閃きの中にしか存在しない

ゲーム会社によって制作工程はさまざまです。そのなかには新規プロジェクトが発足すると、まず最初に複数の担当者がみんなでアイデアを出し合い協力して新しいゲームの根幹を考えるという方法で企画を立てるところもあるようですが、これはあまり良いやり方ではないと思います。

ゲーム企画というのは1つの世界を作る作業です。そこには独自のルールがあり規則があります。どうしてそうなっているのかそれは制作者の勝手です。信号を赤、青、桃、にしても構わないんです。理由なんてどうでもいいんです。ルールが把握できて納得できればそれに沿ってユーザーはプレイします。

乱暴な言いようですがこれがゲーム企画の考え方です。みんなでアイデアを出し合って考えるなんてことになったら「どうして桃なの?」「わかりにくい!」「桃って……」なんて意見が出てくるかもしれません。いや、私なら言うでしょう。

しかしそんなこと制作者が好きにやっていることで大した意味などないかもしれません。でもそのこだわりにはその人なりの理由があり、それは他者には見えない細い糸でさまざまなアイデアに繋がっていることもあります。そういうものは遊びの伏線となって後々深みを加える重要な要素にもなり得るのです。

ですからこういうことをこの段階で他者に理解してもらわないと採用されないとなると、結局みんなで考えるという作業は、押し並べて平均的で誰もが安易に認識出来る範囲の常識至当な企画しか生まれてこないということになります。

ゲーム企画はあそびを考えることです。

そしてあそびのルールは個人の数だけあります。

ちょっと嫌な例えですけれど……。

新人の見習い企画マンがゲームの発案を任されました。チームの他の担当のプログラマーやグラフィッカーなどが親切で、協力してこの新人企画マンをサポートしようとみんなでアイデアを出し合ってくれました。

もの凄く真剣に何日も話し合い沢山の面白そうなアイデアが出てきました。「さあ、あとはキミに任せるから、良い企画待ってるよ!」なんてことで、その沢山のアイデアを新人企画マンに期待をこめて託しました。

数日後、新人企画マンはつぶれてしまい退職してしまいました……。

フィクションですが、似たような話はいくつも聞いたことがあります。でも、こんなことをしたら100%結果は明らかです。さまざまなあそびに、さまざまなルールに、さまざまなジョーク……。みんなそれぞれ別の世界の話が個人ごとに展開していて、手触りも匂いも違うものをまとめるなんてプロでも容易には出来ないでしょう。

一人の人間が考えたものがたとえ理解されにくい設定でも、それがルールならばそれに従って攻略すればゲームは成立します。それは企画マンのクセのようなものであり、ユーザーの感じる手触りのようなものです。好き嫌いはあってもオリジナルな商品として成立させるには個人が大半のシステムやルールを作るしか方法はありません。

もしそれでも発案からみんなで考えなければならないのであれば、それぞれの個人が各自の考えるシステム、言ってみればゲーム企画の大半を作ってそれを発表するようなやり方をすれば、あるいは良いのかもしれませんね。

企画段階でみんなが協力しなければならないのはこの後です。ゲームの基となるシステムが決まるとそのシステムをどう活かしていくのかは各パートの総合的な意見も必要になってきます。

クセがあって一般的な感覚と乖離している設定でも、おもしろい遊びならなんとかして判り易く表現したいところです。それがグラフィックが可能にするのか、プログラムのアイデアなのか、それともサウンド演出なのか……。

オリジナルな遊びを生み出すのは大変なことです。企画書だけではなかなか周囲の理解も得られにくいこともあります。しかし独創的なアイデアや地味で目立たない企画であっても最初からそうと決めつけるのではなく、その奥にある遊びのおもしろさを見出して判断するべきなのです。

なぜならビッグヒット商品のアイデアは一個人の閃きの中にしか存在しないからです。

 

*blog "games be" 2014年記事の再録