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ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

ヒーローの活躍は子供の良心に共鳴する

最近のゲームには孤高のヒーローなるプレイヤーキャラクターがあまり登場しません。ゲームの流行もありますが、やはりインターネットや通信システムの普及によりユーザー間の情報交換が日常的に行なわれるようになって、ゲームを共有するという遊びが一般的になってきたからだと思います。

これらの影響は操作するプレイヤーキャラクターの位置づけを変化させました。それまでは『ユーザーがプレイヤーキャラクターのヒーローとなって戦う』という意識でしたが、複数のユーザーが共有するゲーム内では『プレイヤーキャラクターがユーザー自身である』という表現に変わってきたということです。

そのため操作するキャラクターは他のユーザーのものと差別化できるよう、見た目の装備装飾や攻撃方法などのカスタマイズが可能になりました。これは遊びに必要な「多様性」と関係があり、本来必要とされていたものの容量や性能が足りずに表現出来なかった『比較する』遊びが、ハードのスペック向上により実現出来るようになったと考えられます。

『競う』ではなく『比較する』とは、1つのルートにおいて各々がどこまで攻略したかではなく複数あるルートのどのルートを攻略したかということです。このような多様性を持った遊びに対応する為にはさまざまなシーンやオブジェクトを用意しておかなければならず、ビデオゲーム黎明期のころのハードではなかなか表現できなかったものです。

とはいえ、これはその世界を共有するシステムとして、飽くまでゲームジャンルの一種であり、対する個が楽しむゲームもまた一種ですから、いずれまた新たなヒーローが登場することでしょう。

 

…… ヒーローというと正義の味方。困っている人々を救う強い人というイメージですが、どうなんでしょうか。今はそんな感じでもなくて、どちらかと言うと理解してくれる人。自分に同調して協力してくれる強い人という感じでしょうか。最近テレビなどで観るヒーローはそんな印象がありますね。

ヒーローはこうでないといけない、という定義みたいなものはなく、時代によって変化するものなのでしょうけれども、私としては少なくとも『導く人』であってほしいとは思います。

子供にとってヒーローとは大きな力であり声を聞くべき人です。親や先生がどんなに誘導しようとヒーローの言葉にはかないません。圧倒的な強さでその力を見せつけられた子供たちの心に残るものは、正義を実行した勇姿であり、人には出来ない特別な力への憧れだと思います。

正義とはとても厄介なものです。恥ずかしくて孤独で自主的なものです。ですから大人に教わることで面倒になり、そうと判っていても大勢の前で一人実行するのは勇気のいることです。

子供にとってそういう心の奥にある大切なものを目の前で格好よく実行するヒーローは、その誠実なこころをどう扱えばよいのかを導いてくれる頼もしい人です。

私たち大人がヒーローを作るときに注意しなければならないのは、『カッコいい』の基準を間違わないことです。子供はこういうのが良いだろうとか、こういうデザインを好むだろうとか、そういう感覚で作ってしまうと、その誘導される感覚に気づいて子供たちは訝しく感じてしまいます。

ですから子供に寄っていくのではなくヒーローの背中を子供たちが追いかけるようなものを作らなければなりません。そのためには作り手が如何に誠実であるかということが問われます。そしてその純真さをキャラクターに投影することで、曖昧で空っぽのヒーローから脱することが出来るのです。

子供の頃に出会うヒーローはまさに正義の象徴です。どんな姿であっても子供たちの心の中にあるものと同じものが宿っていれば互いの心は必ず共鳴するはずです。

そしてその後社会に出てさまざまな経験をしていくことで、世の中にある正義の心、ヒーローに出会うでしょう。その時思い浮かべる姿は子供の時に出会ったヒーローです。アニメであろうがゲームであろうが心が共鳴し合ったその人の姿を思い出すのです。

ヒーローを子供のために作るのであれば一生心に残るキャラクターであるということを制作者は覚悟しなければなりません。なぜならヒーローの実直な正義を見せるということは、真っ白で柔らかな子供の無垢な心に傷をつけるということだからです。子供が人になり人間になる発達途中のその心は全てを受け入れて傷となり個性に変化していきます。一度形づけられた傷はそのまま大人になっても変わらず存在し、良いことも悪いこともその傷に投影されるのです。ですからそのヒーローがカッコいい様相で見せかけだけのヒーローであったならその人もまたそれを疑わない人となってしまうかも知れません。……

 

子供にとって遊びは大切な仕事であり自分や社会の仕組みを覚えるためのものです。子供のための商品開発を幼稚なものづくりと笑わず真剣に誠実に取り組むことこそ大人としての大切な役割だと思います。