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ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

TVのヒーロードラマは子供たちにとって『高度な精神的リアル世界』によるごっこ遊びである

ヒーローが好きでした。

漫画やアニメ、特撮ドラマにもヒーローは登場しました。当時はヒーローブームで子供たちには力強い「ボクらの仲間」が沢山存在していましたね。

大人が子供たちにそんな空想物語を提供するために考えなければならないことの一つに感情移入があります。こんなカッコいいヒーローがいればイイナ…… から始まって、ボクもあんなヒーローになりたいナ! と、心動かされるようになると制作者も満足する作品となるのでしょう。

でも、間違ってはいけないことは「子供は本気で信じている訳ではない」ということです。3、4歳の幼児はともかく小学生にもなると、ものの道理は一応理解しています。変身ポーズを習得すれば将来自分もカッコいいヒーローの姿になれるとは思っていません。

子供たちはそんな空想劇を『高度な精神的リアル世界』で楽しんでいるのです。これは言い換えると『○○ごっこ遊び』です。

怪人は着ぐるみで中に人が入っていることも知っています。ヒーローにやられて爆発する瞬間、爆発シーンが編集されてインサートされていることも知っています。でも、怪人はその奇怪な様相を強調するような面白い動きを見せ、爆風は辺りの土砂を爆音とともに破壊します。子供たちは演出された未知の世界にわくわくしながら、目の前で起きている奇異で圧倒的なリアルを体感しているのです。大人のように「そんなわけないよね」と醒めてしまう現実の枠を外して見ている子供たちの眼には、子供たちにだけ見える都合のいいリアル世界が広がっているのです。

ヒーローショーのイベントで観客の子供たちに「さあ、みんなで○○マンを呼ぼう! せーの! ○○マーーーン!」ってやってますが、あんなこと小学生には無理です。リアルショーに来る子供たちは総じて幼児が多いのも映像の中のリアルごっことの違いがあるからだと思います。

 

人造人間キカイダー』という特撮ドラマがありました。特徴的だったのはそのキカイダーのアクションです。それまでの特撮ヒーローでの戦闘シーンは、一連の立回りから次のアクションに移る際、必ずシーンが切り替わりました。例えば周りの敵を蹴散らした後、ジャンプモーションに入ってそこでカット。次のシーンではジャンプ後着地したところからスタートするといった具合です。

本来カットされるには理由があります。敵と遭遇した場所からジャンプすると一瞬のうちに高い崖の上へと降り立つヒーロー。そんなこと普通の人間では無理です。超人ヒーローだからできる技です。編集によって生み出されるリアルなアクションはそれだけで意味のあるものです。

しかしキカイダーは少し違っていました。ジャンプのタイミングでシーンはカットされず、そのまま長回しでアクションが展開していました。全てではなくある1シーンではありましたが、私はその瞬間、画面に釘付けになりました。

キカイダーはそのお決まりのシーンを越えようとしているようでした。もちろんそのまま高層ビルに降り立つようなことはできません。しかしヒーローは殺陣の途中、その流れのまま大きくジャンプすると相対していた敵の真上を回転しながら飛び越して背後に降り立ったのです! 規模は小さいものですがこの間シーンは編集無しです。

岩陰に設置された小さなトランポリンでジャンプしているようでしたが、編集による超絶ジャンプに対してこの補助器具による本物のジャンプアクションは、比較にならないほど私には斬新で衝撃的でした。

今思うと、子供の『ごっこ遊び』を映像で提供するという考えを、当時の製作陣はしっかりと持っていたのだと感動してしまいます。

 

子供のために商品開発することはとても難しいことです。大人の好きに考えてもその子供だけにしか見えない都合のいい『精神的リアル世界』を表現することはできません。ですからゲームの仕掛けにしても遊びにしても、子供のリアルな目線を常に考えて模索していかなければならないと思います。

それはどんなに困難であってもかつて子供だった大人が出来ないことはないと私は信じています。