AK note

ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

プレイヤーキャラのやられっぷりがゲームの面白さを左右する

常識とリアリティー

鬱蒼とした熱帯雨林のジャングル。特殊任務を請けて単身この森に乗り込んだ『俺』。右手の自動小銃をぶっぱなしながら四方八方から飛んでくる敵の弾をかわして入り組んだ獣道を突き進む。左手の機関銃はこの日の為にパワーアップした強力な武器で敵のアジトにある中央制御装置『コア』を破壊するための特殊装備だ。

いよいよ敵陣に近づき攻撃も激しくなる。しかし岩影から突然現れる敵やシダの葉でカモフラージュした塹壕からの容赦ない銃撃も、今までの経験によって事前に察知して素早く回避出来るようになっている。見えた!敵の要塞だ。

目の前に広がる大きな壕を渡れば潜入成功。最終ミッションの第一段階クリアとなる。二機の銃器を軽々と使いこなす鍛えられた強靭な体躯に嘘は無い!今までもこれくらいの堀はいくつも飛び越えてきた。

少し助走をつけてジャンプ! 向かう着地点の周りに敵多数。風を切りつつ中空で素早く銃を構えて身を固める。しかし距離が足りずにそのまま壕の中へと落ちていく。残念。プレイヤーアウト。—

 

小説や映画などでは基本的に『主人公は死なない』というのは須要な事柄ですがゲームでは死にます。これが娯楽作品における物語とオモチャの違いです。たとえ物語で主人公が死んでしまう演出があった場合でも、その主人公を復活させて再び活躍させる為には相当な説得力が必要になります。

プレイヤーアウトの滑稽さはゲームを面白くする重要な要素です。元々はゲーム機の仕様でメモリ容量が少ないことに起因していて、穴に落ちていくアニメパターンを実装する優先順位が低いことから、ゲーム史の黎明期のころには戦闘ポーズのまま落っこちていくことがあたりまえでした。

その後穴の途中に当たり判定をつけてアウトパターンをいれるゲームも出てきましたが私としては無いほうが面白いかなと思います。アウトパターンはどちらかというと物語の中にある演出のような気がします。ゲームで『死ぬこと』は無かったことに相当するもので、最寄りの地点からプレイを再開する為には死んだ事実は本来必要のないものです。

!物語ではリアリティーが重要です。

!ゲームでは常識が重要です。

物語の中にあるリアリティーとは現実の世界に基づいた事象を意味していて、そこから逸脱したものは空想の領域になります。人が空を飛ぶ事は常識的にはあり得ないことであっても、見ている人が納得する、説得力のある理由があればそれは許されます。この説得力がリアリティーです。

一方ゲームではスーパーパワーで空を飛んでいても必要以上にその理由を説明することはありませんが、敵の弾が目視では当たっていないのにアウトになるということは絶対に許されません。弾が当たったからアウトになるということは我々の共有する常識に相当するわけで、ゲームのルールはこの常識という土台の上に存在するものです。

常識を裏切らないゲームは安心してプレイヤーアウトになれます。それはもう一度プレイしてもらうための重要なエレメントであり、ゲームにおいての説得力となるものです。

 

やられっぷりの美学

プレイヤーのアウトは傍で見ている人にも大きな影響を与えます。良いゲームとされるもの、特にリアルタイムアクションではプレイヤーのやられっぷりを見て興味を持ってもらえたりすることもあります。

ゲーム制作ではどのようにプレイヤーをアウトにするかということは、ステージの設定においてとても重要な事項の一つです。間隔やタイミング、そしておおよその回数も想定しておく必要があります。

あまり同じ場所で足止めするような設定では難度が高いと敬遠される可能性もありますが、強烈な印象を持っているシーンではこれを強調して見ている人にインパクトを与えるようにすることも方法の一つです。

実際にはどれだけ難しいのかはプレイしている人にしか判りませんが、それを見て「自分だったらクリアできるかも……」と思わせる何かがあれば、どんなに酷い方法でプレイヤーがアウトになっても設定の範囲内だと思います。むしろ特徴のあるやられっぷりを見せる事で、ステージ攻略のステイタスも上がりクリア後の達成感も増すかもしれません。

その為にはあらゆる手段でプレイヤーをアウトにしなければならず、それにはあらゆるギミックが必要になるわけで、単調にならないように常に操作している人やそれを見ている人に楽しんでもらうには、より多くの遊びのアイデアがなければならないということになります。

プレイヤーをアウトにする設定を考えるということはユーザーに意地悪をするということではなく、やられっぷりを楽しんでもらうということです。アウトになった瞬間、思わず笑ってしまうような強烈な印象のものでも最終的にはクリア出来るゲームは、プレイしていてもそして見ていても面白いものだと思います。

 

いろいろなやられっぷり

カプコン社『魔界村』は多くの支持をもつパイオニア的なゲームです。このゲームの特長は当時としては群を抜くグラフィックとそれを強調する世界観ですが、私が一番革新的だと感じたのはステージ設定です。

それまでの横スクロールアクションはそのルールや操作を徐々に習得出来るように設定されていて、最初のステージを基本として、そこからステージが進むごとに少しずつ雑魚敵のスピードが上がったり1体づつ敵の種類が増えたりするものでした。

ですからやっていることは最初のステージから変わる事が無く、これによりプレイするユーザーはゲームが上達していく感覚を感じる事ができるよになっていました。

しかし『魔界村』は細かくセクションを分けてそこにだけ登場する敵を配置したんです。これにより1ステージだけでも墓場から川渡り、草地とシーンが変わり、その都度敵が入れ替わります。これはそれまでのアクションゲームの何倍ものギミックを考えなければならないことを意味しています。

見ているだけで「次はどんな場所でどんな敵が出てくるんだろう」とわくわくしてプレイを見る事ができます。ゲームセンターで人が集まるテーブルになるのも納得できます。

しかしこの設定の影響で習得に時間がかかって難しいゲームと言われるようにもなりました。けれど私としてはいろんな敵にいろんなやられ方をされることに面白みを感じることができましたね。……

 

同じジャンルのゲームでも設定に違いがあればゲーム性も遊びも全く違うものになります。その違いを表現するためにどんな遊びをユーザーに提供するか、そしてどんな風にプレイヤーをアウトにするのかを考えることは非常に重要なことだと思います。

 

*blog "games be" 2014年記事の加筆・修正