AK note

ビデオゲームの考究と企画についてのヒント

ゲームという商品の対価はユーザーの貴重な時間であるということ

コンシューマゲームのソフトはほとんど価格設定がされています。つまり値段がついているんですね。一方スマホなどの携帯端末、いわゆるゲームアプリでは値段のあるものから無料まで、各種販売方法の違うものが混在しています。

 お金を払って購入してもらうのか、無料で提供したあと課金してもらうのか。課金するとしたらどのような方法にするのか。納得してもらう課金方法とはどういうものなのか。…… 最近では販売形態がゲームのシステムに直接関わってくるようになってコンシューマのようなゲーム内容だけを単独で考える企画ばかりではないようです。

しかし、ユーザーに提供する商品の対価はお金だけではありません。値段がついてようが無料だろうが必ず支払われるもの、それが時間です。

 

ゲームを制作してそれを提供するということはユーザーの時間をもらうということです。そしてその時間は絶対に返却できません。制作者が設定した時間はユーザーの時間です。商品の価格設定と同じように1時間なら1時間、アプリのサービス期間が1年なら1年分のプレイ時間が支払われます。

おもしろいゲームならもっと支払ってくれます。何度も遊んでもらえれば、それだけの時間を頂けるということですね。

これは決して制作者に対する心得話ではありません。ゲームにかけた時間を英会話教室やトレーニングジムに費やせば、そのユーザーの生活は少し違ったものになっているかもしれません。また子供についても同様で、幼少時代の期間は短く、その貴重な成長期の「人間が作られる時間」をゲームプレイに費やすわけですから大変なことです。

 

ゲームプランニングする際、ゲームの内容も大切ですがそのプレイ幅はもっと重要に思います。そもそもゲームというのはユーザーに心地よい負荷をかけながら自分でその負荷を減らしていくようなもので、どんなにごまかしてもそのストレスは残ります。上手くクリアして爽快な気持ちになってもらうよう制作しても、全ての人から最高の評価を得ることはできません。

ですからゲームがおもしろくないとユーザーは凄く残念な気持ちになります。これは映画や小説、漫画やTVアニメなどの評価基準とはまた別の、もっと大きな「後悔」のような感情が怒りになったりします。

それはゲームというものが創作作品などの「芸術」「アート」とは違うからです。

あくまでゲームは「オモチャ」であり遊び道具でなければなりません。

もしその道具が使えなかったり使っても効果がなかったら「不満足」では済まないということは容易に理解できます。クソゲーと言われたりコントローラーを投げつけられたりするのも、そんな理不尽な結果に対する行為だと思います。

 

考えるに遊んでおもしろいものを良いゲームだとするのは大前提として、その先の目指すべきものは『印象に残るゲーム』ではないでしょうか。答えになっているかどうかは分かりませんが、少なくとも私はそういう思いで制作していました。

特にパーフェクトでなくても構わないと思います。印象に残るゲームが完璧なゲームというわけではなく、どこかの1シーンでも心に引っかかる何かがあればいいと思うのです。オープニング、ストーリー、キャラクター、遊びのルール、自機、ギミック、エフェクト、…… ゲームの中に存在する制作者の意志がユーザーと繋がったとき、きっとユーザーは忘れられない体験をするはずです。

 

そうすればユーザーが費やした貴重な時間のお礼として、その心の中に残る永遠の想い出となって存在し続けてくれるに違いありません。